172_これからの正義の話をしよう_Justice: What's the right Thing to Do!

2010年、日本で大ブームを巻き起こした本があります。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が書いた『これからの「正義」の話をしよう』という本です。NHKがサンデル教授の人気講義を番組化すると、すぐに大きな話題になりました。サンデル教授は政治哲学を専門とし、この本では「正義とは何か?」「正しい行いとは何か?」という根本的な問いを考えています。

実際に講義で使われていた思考実験を紹介します。哲学や倫理学を学んだ人なら知っているであろう、「トロッコ問題」です。こんな問題です。暴走したトロッコが線路を進んでいます。このまま進むと、線路上で作業している5人の作業員が死んでしまいます。私たちはレバーのそばにいて、それを引けば別の線路にトロッコを移動させることができます。でも、その別の線路には1人の作業員がいます。問題は、「5人を救うために、1人を犠牲にするレバーを引くべきか?」です。

この問題に、みなさんはどう答えますか?「一人を犠牲にして五人を救う」と答える人もいるでしょう。この考え方を、功利主義と言います。全体的な幸福を最大化することを目指す、いわば結果をより重視する考え方です。この考え方と真逆とも言えるのは、エマニュエル・カントが唱える哲学です。彼は、行為の結果よりも、行為そのものの正しさを重視します。

ここで、実際にあった事例で考えてみましょう。19世紀の海難事故で、3人の乗組員が生き残るために船室の少年を殺して食べたという事件です。この事件では様々な議論が起きました。例えば「生存のための必要性は殺人を正当化するか?」「どんな状況でも殺人は間違っているのか?」といった議題です。必要性によって行為が正当化されるという主張もあれば、状況や起こり得る利益に関係なく、殺人という行為は本質的に間違っているという主張もあります。また、他には「船室の少年が自身の死に同意していなかったことが間違いである。全ての当事者が同意し公正な抽選手続きをしていれば、殺人を正当化できる可能性がある。」という人もいます。

はじめに立てた「正義とは何か?」「正しい行いとは何か?」という問いはすぐに答えられるものではないので、生きている限り考え続けなければならない問題かもしれません。みなさんはどう思いますか?

2010ねん日本にほんだいブームをこしたほんがあります。ハーバード大学だいがくのマイケル・サンデル教授きょうじゅいた『これからの「正義せいぎ」のはなしをしよう』という本です。NHKがサンデル教授の人気にんき講義こうぎ番組ばんぐみすると、すぐにおおきな話題わだいになりました。サンデル教授は政治せいじ哲学てつがく専門せんもんとし、この本では「正義とはなにか?」「ただしいおこないとは何か?」という根本こんぽんてきいをかんがえています。 実際じっさいに講義で使つかわれていた思考しこう実験じっけん紹介しょうかいします。哲学や倫理りんりがくまなんだひとならっているであろう、「トロッコ問題もんだい」です。こんな問題です。暴走ぼうそうしたトロッコが線路せんろすすんでいます。このまま進むと、線路じょう作業さぎょうしている5人の作業員さぎょういんんでしまいます。わたしたちはレバーのそばにいて、それをけばべつの線路にトロッコを移動いどうさせることができます。でも、その別の線路には1人の作業員がいます。問題は、「5人をすくうために、1人を犠牲ぎせいにするレバーを引くべきか?」です。 この問題に、みなさんはどうこたえますか?「一人ひとりを犠牲にして五人ごにんを救う」と答える人もいるでしょう。このかんがかたを、功利こうり主義しゅぎいます。全体ぜんたい的な幸福こうふく最大さいだい化することを目指めざす、いわば結果けっかをより重視じゅうしする考え方です。この考え方と真逆まぎゃくともえるのは、エマニュエル・カントがとなえる哲学です。かれは、行為こういの結果よりも、行為そのものの正しさを重視します。 ここで、実際にあった事例じれいで考えてみましょう。19世紀せいき海難かいなん事故じこで、3人の乗組員のりくみいんのこるために船室せんしつ少年しょうねんころしてべたという事件じけんです。この事件では様々さまざま議論ぎろんきました。れいえば「生存せいぞんのための必要ひつようせい殺人さつじん正当せいとう化するか?」「どんな状況じょうきょうでも殺人は間違まちがっているのか?」といった議題ぎだいです。必要性によって行為が正当化されるという主張しゅちょうもあれば、状況やこり利益りえき関係かんけいなく、殺人という行為は本質ほんしつ的に間違っているという主張もあります。また、ほかには「船室の少年が自身じしんの死に同意どういしていなかったことが間違いである。すべての当事者とうじしゃが同意し公正こうせい抽選ちゅうせん手続てつづきをしていれば、殺人を正当化できる可能かのう性がある。」という人もいます。 はじめにてた「正義とは何か?」「正しい行いとは何か?」という問いはすぐに答えられるものではないので、生きているかぎり考えつづけなければならない問題かもしれません。みなさんはどうおもいますか?


In 2010 a certain book became very popular in Japan. The book is called “Justice: What's the right Thing to Do!”, written by Harvard University professor Michael Sandel. When NHK (Japan Broadcasting Corporation) made a programme of his popular lectures it immediately became a hot topic. Professor Sandel, who specialises in political philosophy, asks in this book fundamental questions such as, "What is justice?" “What is the right thing to do?”

Here is a thought experiment that was actually used in his lectures. Anyone who has studied philosophy or ethics probably knows about the ‘Trolley Problem’. The problem goes like this. A runaway trolley is travelling along a railway track. If it continues to move forward, five workers working on the track will die. We are near a lever and we can pull it to move the trolley to another track. But there is another worker on that other track. The question is: "Should we pull the lever that will kill one worker in order to save five people?".

How would you answer this question? Some might answer that they would sacrifice one person to save five. This way of thinking is called utilitarianism. It is a results-oriented approach that aims to maximise overall happiness. The exact opposite of this idea is the philosophy advocated by Immanuel Kant. He put an emphasis on the inherent rightness of the act over and above the consequences of the act.

Let us consider the real-life case of a 19th century maritime accident in which three crew members killed and ate a cabin boy in order to survive. The incident caused a lot of controversy. For example “Does the need for survival justify murder?” “Is murder categorically always wrong?”. Some argue that necessity justifies the act, while others argue that the act of murder is inherently wrong, regardless of the circumstances and possible benefits. Others argue that the wrongdoing is based on the fact that the cabin boy did not consent to his own death. Some people say that if all parties consented and a fair lottery procedure wasfollowed, the murder could have been justified.

Questions that we set out at the beginning, "What is justice?" “What is the right thing to do?” are not something that can be answered quickly, and may be questions that we will have to keep thinking about as long as we live. What do you think?

Next
Next

171_昭和基地の暮らし_Life at Showa station