100_The pain of translators_翻訳者(ほんやくしゃ)の苦悩(くのう)

[Hiragana and English Below]

最近、たくさん本を読んでいます。今までは日本人が書いた日本語の本ばかり読んでいたのですが、翻訳された本も読むようになりました。小説やビジネス本など、色々なジャンルのものを読んでいます。今日は、本の翻訳について私が考えたことをお話しようと思います。

「すばらしい新世界」という本を読みました。1932年にイギリス人のオルダス・ハクスリーという作家が発表したディストピア小説で、作中にはたくさんの風刺的な言い回しや、韻を踏んだ表現が出てきます。また、時代を反映してか、シェイクスピアの引用もとても多いです。

シェイクスピアの引用はあまりわからなかったものの、韻を踏んだ表現は、日本語でも上手に訳されていて、感心しました。さて、この本は最後に訳者のあとがきがあり、それを読んだのですが…その部分も、本編に負けず劣らずおもしろかったです。そこに書いてあったのは、訳者がもとの表現の面白みを損なわず、いかに日本語でも意味が通じるように訳すか、という苦心でした。イギリス人にしか伝わらないユーモアを、どうやって日本人に伝えるか。悩みに悩んであの表現になったのだということがわかりました。

あとがきまで読んで思ったのは、訳者は、原文の言葉遊びや機知に富んだ言い回しを、そのまま味わうことができる特権を持っているのだということです。もちろん、大変なこともとても多いと思います。今言ったように、原文をただ直訳すればいいのではなく、その本が書かれた時代の文化、背景知識を身に着け、それを他の国に受け入れてもらえるよう表現し直さなければいけないのですから、とても骨の折れる作業でしょう。

訳者になる、とまではいかなくても、私や皆さんのように言語を勉強している人は、本をオリジナルの言語で読む、という目標を立てるのもいいモチベーションになるんじゃないかな、と思いました。

[Hiragana]

さいきん、たくさんほんをよんでいます。いままではにほんじんがかいたにほんごのほんばかりよんでいたのですが、ほんやくされたほんもよむようになりました。しょうせつやびじねすぼんなど、いろいろなじゃんるのものをよんでいます。きょうは、ほんのほんやくについてわたしがかんがえたことをおはなししようとおもいます。

「すばらしいしんせかい」というほんをよみました。1932ねんにいぎりすじんのおるだす・はくすりーというさっかがはっぴょうしたでぃすとぴあしょうせつで、さくちゅうにはたくさんのふうしてきないいまわしや、いんをふんだひょうげんがでてきます。また、じだいをはんえいしてか、しぇいくすぴあのいんようもとてもおおいです。

しぇいくすぴあのいんようはあまりわからなかったものの、いんをふんだひょうげんは、にほんごでもじょうずにやくされていて、かんしんしました。さて、このほんはさいごにやくしゃのあとがきがあり、それをよんだのですが…そのぶぶんも、ほんぺんにまけずおとらずおもしろかったです。そこにかいてあったのは、やくしゃがもとのひょうげんのおもしろみをそこなわず、いかににほんごでもいみがつうじるようにやくすか、というくしんでした。いぎりすじんにしかつたわらないゆーもあを、どうやってにほんじんにつたえるか。なやみになやんであのひょうげんになったのだということがわかりました。

あとがきまでよんでおもったのは、やくしゃは、げんぶんのことばあそびやきちにとんだいいまわしを、そのままあじわうことができるとっけんをもっているのだということです。もちろん、たいへんなこともとてもおおいとおもいます。いまいったように、げんぶんをただちょくやくすればいいのではなく、そのほんがかかれたじだいのぶんか、はいけいちしきをみにつけ、それをほかのくににうけいれてもらえるようひょうげんしなおさなければいけないのですから、とてもほねのおれるさぎょうでしょう。

やくしゃになる、とまではいかなくても、わたしやみなさんのようにげんごをべんきょうしているひとは、ほんをおりじなるのげんごでよむ、というもくひょうをたてるのもいいもちべーしょんになるんじゃないかな、とおもいました。

[English]

I have been reading a lot of books lately. I used to read only Japanese books written by Japanese people, but I have started to read translated books as well. I’m reading a variety of genres, such as novels and business books. Today, I would like to share my thoughts on translating books.

One of the books I’ve recently read is a book called “Brave New World.” It is a dystopian novel published in 1932 by an English writer named Aldous Huxley, and it contains many satirical phrases and rhyming expressions . Perhaps reflecting the custom of those times, there are also many Shakespearean quotes. Although I didn’t understand the Shakespearean quotes, I was impressed by how well the rhyming expressions were translated into Japanese.

Now, the book has an afterword by the translator at the end, which I read...and that part was just as interesting as the main part of the book. In it, the translator explains how hard it was to translate the expressions into Japanese without spoiling the appeal of the original expressions. How does one convey humor that can only be understood by British people to Japanese people? I could see that the translator had to struggle a lot to find the right expressions in Japanese.

After reading through the afterword, I realized that the translator has the privilege of appreciating the wordplay and witty phrasing of the original text as it is. Of course, there are many difficulties as well. As I mentioned, it is not enough to simply translate the original text literally, but one must acquire background knowledge of the culture of the period in which the book was written, and then re-express it in a way that would be acceptable to other countries. That must be backbreaking work.

Even if you don't want to become a translator, I thought it would be good motivation for people like you and me, who are studying languages, to set reading books in their original language as a goal.

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